赤ちゃんじゃない人間を育てるフェーズに入って思うこと
長男が10歳になったことは書いたけど、前からなんとなく思っていたことが、今なら書けそうなので書いている。
長女がバレエの発表会で胸を打たれたとき
長男がサッカーでアシストしてみんなが力をあわせていて感動したとき
運動会で全力で人の応援しているのを見たとき
うっかり、「この人たちの(パフォーマンス…聖域を守ること)ためならなんでも頑張れる」と思ってしまいそうになる。うっかりうっかり。
…。
けど、いや、こっちが今本筋な!譲るべきじゃないよ!と思うんですよ。
自分の希望を転嫁したくなってしまうほど、輝いているのは子どもたちなのは間違いない。だから、バトンタッチ感覚になるのはわかる。
自分の仕事より物理的に数倍時間がかかるから、没頭することに心酔することは容易い。事実、身体はめちゃくちゃ疲れるし。40超えたら本当、ねぇ。(ぎっくり腰を大雨の中のサッカー試合帯同でぶり返しながら)
けど、転嫁されたら迷惑なんじゃないかな、子どもたち側は。
あくまでも、こちらのサブストーリーとして感動していないといけないと思う。
そして、、「子どもの成長とは完全無関係で、子育てには関与しない父親だけが社会的地位を得ていく」というのはさらに前時代的なのでもっと嫌だ。そういうのもういいよ。
この感覚って、どの程度の人がそうだなーって思うのかな。noteには絶対いきなり書けないからここに書いてみてる笑。
切り分けなんてできないし、全部繋がっている。自分が輝いて、人のためになっていて、自分の子どもが輝いているところに関与させてもらいたい。ここにそう誓いたい。
昔から、「フジロックにいくために、普段嫌な職場に耐えてる。来年またくるために、めっちゃ嫌な仕事耐えます」ってインタビュー答えてる人見て、違和感だった。ミュージシャンそれ本質的には嫌なんじゃ…商業的には受け止めるだろうけど…と思ってた。それとちょっと似てる気がする。
私は私の人生、80歳まで主役で行くし、子どもたちの人生の、助演賞も同時で狙ってるのおかしいですか?って話。
欲張りすぎかな?でもこれ読んでるみんなは…そうであれ!