強いストレスを感じたときどうするのが自分に合ってるか?
夏休みの始まりに、20代から仲良くしている友達に、「悲しいとか辛いとかなんで言わないのか?」的な問いをされ、「そういう気持ちになる選択肢を全部消してるからかな」と思うくらい、普段ネガティブに振れないことを重要視してる。これは、以前にも書いたご機嫌でいる選択しかしないのと同じ線の上にあること。
そんな私も、夏休みがおわった!メンタル元気!からの、夏の疲れ爆発で寝違えなど色々満身創痍状態、からの、葉山中元職員の不祥事でひっさしぶりにsageにはなって、こういうときどうしてたんだっけ?ってなった。
とりあえず、誰かに疑問を抱いても、自分が変わった方が早いから自分が変わればいい。
何か失敗しても、反省して次は繰り返さない策を打ち、今回の最大のリカバリーの案をやりきって、失敗したことにならないくらい動ければいい。
そういう考え方で社会人四半世紀近くやってるので、「自分にはどうすることもできない」を考えるのがめちゃくちゃストレスかかるらしい。
それも、長女がまた盛大に突っかかってきて寝る時間を削られたある日、翌日落ち込むかと思ったら、その小競り合いは長女の言語化能力が育っていないことが原因の多くで、ということは、ショート動画を見る時間を減らして言語化能力の鍛錬時間を毎日少しずつ積めば解決の兆しあるなと気づき、ルール設定した瞬間、ストレスどころかアハ体験になって昇華していった。という事象から改めて気がついた。
1.まずは何がいちばんのストレスかを知る
その後、「根本的な解決のために自分ができることがない」というストレスにどう向き合うか、を考えるのだが、こればっかりは向き合うのが無理なので、急に推しの芸人のYoutubeを流しまくるとか、普段は仕事中・移動中音楽かけない(つい音楽の主がどうプロデュースされてるとかもっと活かされるためにはとか属性考え始めちゃうので・・・)のに音楽かけて散漫にするとか、してどうにか思い詰めること回避に自然と走ってた。やっぱり全集中でどうにもならないことに向き合ったら頭おかしくなりますからね。
2.現実逃避も時には必要
こういうことは私もこれまでそこそこあって、三浦春馬くんが亡くなったときもちょっとナーバスになったし、小山田圭吾の一連の炎上のときなんかは、小山田圭吾ってワードをミュート設定したこともある。
また問題は、この話を近い人と話せば話すほど傷が深くなるんだよね。お互い。だからそこから、少し薄目で自分がせめてできることを考えられるくらいになるまでは、現実逃避しかない。
3.問題に対する自分のTO DOをまとめる
薄目で見れるくらいになったら、できることをざっくりまとめる。これ案外有効で、やっとくと自分が何もできない無力感にまで押されないで済む。
今回の不祥事に対しては、PTAのイベントでおかしいと思ったら声を出す練習ワークショップでもやって、しかもそれで補助金もらう、という企画書を作って一旦一コマ進めてよしとしてる。
私の場合、ここまででやっと消化するんだよね。しかも、このワナワナモヤモヤした感じを、Substackに書こ!と思ったら前回の投稿がされてなくて書けない始末(自分のせい)で、まずその投稿してからイマココですよ。
やっと私の心もほとぼり冷めてきて(不祥事の内容は本当にクソすぎて、何をしてくれてるんですかしかない)、次に書きたいことが生まれたからもうこれも何もまとまってないけどみんなに送っちゃう。こういうとき、処方箋わかっていた方が安心できるよねって話。用意しといても、また色々起きるのが人生だけども。
みんなは強いストレス感じたとき、どうしてる?コメント待ってるよー。